ゲームの正しき戦いについて


・ここのところ遊んでいるのは、『ペルソナ3』『フェス』での追加エピソード、
 引き続いて『ファミコンウォーズDS』を毎日すこしずつ、
 そして相変わらずの『三国志大戦DS』、であります。

・前回『グランディア デジタルミュージアム』のような、
 と書いた『ペルソナ3』後半戦は、まあそのような感じでありまして
 平和な日常描写という部分はなく、ダンジョン潜りっぱなしの
 ひたすら戦闘を繰り返してレベルを上げていく、という構成となっています。

・余計な手間は掛けなくとも良く、ただただ目前の敵を倒すのみ。
 これがまた楽しい。
 戦っているだけというのが楽しい。
 難易度、難度、同じレベルにおける敵を倒す困難さ、が本編の難度ノーマルに比べて
 やや強めであり高めであり、手ごたえが増して有り、良いであります。



RPGにストーリーなど不要。ひたすら敵を倒していくのみ。
 という内容。とても楽しい。
 けれど、なぜこれが、これで、これだけで楽しいのだろう。

・敵を倒すだけである。本編と同じくランダムダンジョンなので
 マッピングの楽しさというようなものとこちらも無縁。
 敵の残体力、戦力、こちらの能力、仲間の行動予測、これらを踏まえ
 いかに属性攻撃をからめて手早く倒すか、という
 前回書いたあたりの、戦闘の仕組みが良くできているところ、があるからこそ
 ただそれだけでも楽しい、であるのはもちろんなのですが
 しかしけれど、敵を倒すだけ。同じことの繰返しではないか。


RPGはレベルが上がる。強くなる。以前苦労した敵を楽々倒せるようになる。
 それが気持ち良いのだ成長の喜びだ、というように
 戦闘の楽しさは、勝利を積み重ねた結果の成長する喜びである、と
 捉えていたのですけれども、違うのではなかろうか、とも思うわけです。

・ほとんどの時間は、適正な強さの敵と戦っているのである。
 強すぎて倒すのに手間がかかる、すぐ楽に倒せるけれど稼ぎが悪い、
 というのを選ばずに、そこそこの手間でそれなりの敵を倒して成長させるのが
 一番効率良い、というように「バランス調整」されているものが良いもの、と
 遊ぶ方は思っているのである。

・そうするとだから、成長して強くなっても
 いつも戦っている相手は、同じ強さなのではなかろうか。
 『サガ』だけが特別なのでは、ないのではあるまいか。
 結局最初から最期まで、繰返し作業なのでは。


RPGにおけるボス戦闘の理想は、あと一撃で味方が全滅、
 というところで会心の一撃が出て逆転勝利を収める、というものがあります。
 逆転。大どんでん返しで実は右腕が。これぞドラマツルギー
 しかし、敵の強さは変わらないのに勇者様御一行の強さは不確定なのがRPGだから
 なかなかに、理想の調整は遠いものである。

・そこで次善に理想とされるのが、計算通りに勝つこと。
 敵の強さは一定。それに合わせて、強さを変えられる遊び手側が調整し
 計画を立て「花連火の併せから七手で詰み」とかして美しく勝つわけである。
 あのゲームは敵の残体力がわからないけれども
 だからそこは事前に調べておくのである。ゲームが遊び手のために尽くすのではなく
 こちらが相手に併せる、いや合わせるのだ。
 お話上、敵を倒すのは一度きり。しかし、ゲームの外にいる我々は何度でも試し直せて
 世界のあらゆることを知ることができるのだから。思い通りになるわけではないけれど。


・けれども、大方我々はそういうことをしたりしないのである。
 やり込みゲーマーの方々を賛嘆して崇めるけれども、自分ではしない。
 ボス戦には、周囲の状況から恐らく勝てるであろうという強さでのぞみ
 計算通りに、一度で勝つのである。勝てなければ自分ではなくゲームに非がある。
 それが正しい。だから、適度に倒せる敵を倒しているのが正しいのと同じく
 同じ敵に調査のため何度も挑んでから計算通り勝つのではなく
 いつものように勝つのが正しいのだ。
 いつものようにして勝てるのが正しい。同じことをして勝てないのがおかしい。


RPGの戦闘は、ボス戦で盛り上がるためにいつもと違うことは許容しても
 とても違うことは許されず、だから同じことの繰返しなのである。
 しかしそれなのに、楽しいのはなぜだろう。

・『ペルソナ3』でダンジョンにもぐり、ひたすら敵を倒しているのは楽しい。
 たまにレベルが上がり強くなると嬉しい。奥に進んでボス敵を倒せて嬉しい。
 そして先に進み、おなじようにいつまでも、敵を倒し続けるのは楽しい。
 していることは毎回、ずっとどこまでも同じ様なことなのに。
 RPGはどこが、なぜ楽しいのだろうか。



・『ファミコンウォーズDS』はとても良い出来である。けちの付け所がない。
 もちろん遊んでいて楽しい。良くできているのだから楽しくないはずがない。

・けれど、いつも楽しいわけではない。
 敵に想定外の攻撃を受けて大損害を被った時。
 手順を誤って余計な手数がかかってしまうのが見えている時。
 単純に操作間違いをして、行動していたい部隊があるのにターン終了してしまった時。
 そしてステージクリア後のランクが低いのを見たとき。最高でなく最高でない。

・ところがこれらの、嫌なところはようするに、みな自分の失敗なのだ。
 コンピューター相手、同じ入力には同じ答えが必ず返ってくる設定相手なのだから
 間違えないようにすれば失敗はなく、嫌なところなく、楽しく遊べるのである。
 そうするとこのゲームはあまりにも楽しい。確実に必ず楽しいはず、なのだから。


・ところで、これもまた手元をみれば、同じことの繰返しであると見て取れる。
 ステージは変わる。敵軍構成も変わる。それに応じて勝つための手順も変わる。
 けれど勝つための方法は同じである。
 失敗があるのだからひとつだけでなくとも正解は有るのであり
 レースゲームやSTGと同じく、正しいとされている答えの上を
 ただなぞっていくゲームなのではなかろうか、とも思えるのである。

・最初に探すのが楽しいのか。いや次第に近づいていくのが楽しいのか。
 そういうことなのか。
 充分すぎるほど遊んでいて楽しいのだから、では、
 同じことを繰返すのは、否定される要素ではない、ということなのだろうか。



・『三国志大戦DS』は対人対戦ゲームである。重ねていうまでもなくとても楽しい。
 アーケードには劣るけれど、あちらで平均\250のところが無料、というだけで文句ない。
 ファミ通の読者感想に欠点として「簡単すぎる」が挙げられているのを見て
 とても悲しい。ゲームの楽しさがきちんと感じ取られないのは悲しいことだ。
 これほどまでに良くできたゲームであるのにとてもとても勿体のないことだ。
 ちなみにPCを立ち上げるのが面倒程度には、コンピューター戦も楽しいと思います。


・そしてまた、中略すなわち途中を省いていうと、これだって同じことの繰返し。
 戦ってばかり、戦闘シーンばかりで
 場面が転換することもなく、お話が盛り上がることもなく、
 世界が変わってしまうこともない。劇的でない。変化がない。新しくない。
 最初の1回は良くても2回目から飽きる。3回目で嫌になる。
 同じことを繰りかえさなければならない作業、とはそういうもののはずなのだ。

・しかし1回目はもちろん2回目も3回目も楽しく遊べる。
 むしろ何十回、何百回と繰り返して
 それがどういうものか、どうすればより正しいか、わかった気がして遊ぶ方が
 より楽しめている。そういうように感じられているのではないか。
 これらは違うものではないか。


・これは、それがアクションゲームだから、とまず言える。つまり
 STGが、まったく同じ箇所に同じ敵が出てくるのを繰り返すのに
 同じ小説の同じ場面を繰返し読むことよりも楽しいのは
 それが操作するゲームだからである、のであると。

RPGにおいて、操作する部分は戦闘と、お話の分岐点における選択である。
 アクションゲームと違って操作する喜び、というのが曖昧で薄い。
 そして自分の思い通りに操れるわけではない。
 真相を知らなかったのに勝手に逆転して話が正しい方へ進んでいってしまうとき、
 遊び手は操作していないではないか。それが楽しいのだから良いのだ、としても。


・『三国志大戦』がそこいらの戦争シミュレーションゲームより群を抜いて素晴らしいのは
 操作できる幅、自由さ、選択の豊かさがかつてなく大きいからである。
 3つ以上の駒を、同時に、別々に、即時思い通り動かせるゲームは他にない。 
 だから楽しいのだ。思い通りに動かす、操作すること自体が楽しいのだ。
 それがアクションゲーム、操作できるゲームの楽しさなのだ。

・しかしそうすると、『ファミコンウォーズDS』はどうなのだろうか。
 アクションゲームではない戦争シミュレーションゲーム。けれど楽しいのは
 自分で失敗しない限り、全て思い通りに操作できるからである。
 操作できる。正しい答えは自分の望む理想である勝利。それは間違えない限り
 必ず獲得できるもので、つまり思い通りに操れるのだ。
 そして知っているほど、何度も繰り返しているほど
 より多くのもの、大きな要素を操れるのである。


・そう、つまりRPGの戦闘が、ただ戦闘だけをしている状態でも楽しめるのは、
 同じ繰返しでも楽しいのは、何度も思い通りに勝てるから、なのではないだろうか。

・同じことの繰返しは苦痛である。
 だからそれをしなくてはならない状態でなければしない。
 つまり、しなくてはならないから、同じことの繰返しは嫌なのだ。

・敵は倒さなければならない。
 しかし倒すと強くなれる。効率良く工夫すればより早く倒すことができる。
 倒しても効率良く強くなれない、工夫しても早く倒さない戦闘は、したくない。
 だから、敵を倒したいとき、同じことを繰り返しているようでも
 それは強制されている、しなければならないからではなく
 したいから、すると楽しいから、しているのであるから、楽しいのである。

・そしてRPGの戦闘は、いやゲームの戦闘は、つまり何かと競うという行為すべては
 間違えなければ勝てることが正しいとされている。
 間違えてしまえば、負けたり嫌なようになる、という正しい評価が与えられる。
 だから正しい。それが正しい。だから楽しいのだ。




・さて、言葉をひねくりまわしてゲームについて書くことは
 正しいのでありましょうか。
 何が正しいかは、知っていて、わかっていなければわからない。
 しかしかかかしかただしいかどうだかとはしらないけれど、面白いのは確かである。

・ゲームの面白さというものは
 ゲームの操作できることによる楽しさ、つまり
 思い通り操作する楽しさ、操作することで得られる結果を見ることができる楽しさ、
 ということを味わうこと、であるよりも
 このゲームとはこういうものであったか、と
 今までにない新しいものと分って判って解った、
 気になったような気になったときのもの、なのであります。

・面白さも楽しさもひととおりでなく、いかようにも言うことができて
 だからゲーム面白いのである。ということができる。ので、あります。