『The Elder Scrolls IV:オブリビオン』

kodamatsukimi2007-11-19


 公式サイト http://www.spike.co.jp/oblivion/ ASIN:B000N5F1B0

・360とPS3で発売の『OBLIVIONオブリビオン)』は
 次世代機を信奉するゲーマーにとって『ブルードラゴン』とかと違い
 自分は遊ばなくても一応注目して、語るに外せぬ一本である。ようである。
 ちなみにここでの次世代機は、一応Wiiを含むけれどDSは微妙。

・とにかく凄い出来。広大な世界を描く物量と物理エンジン
 過去にない自由度を約束する多数のキャラクター造形数やシナリオ量。
 まさにこれぞ次世代RPG。処理能力と容量のみが実現できた今までにない世界。
 究極の最先端。それがこの『オブリビオン』なのである。


・ということらしいのである。
 あ、ちなみに「Oblivion」というのは「忘却」という意味の英単語。
 「The Elder Scrolls」は、「The Elder」で「大いなる」。あるいは「年代物」の。
 「Scrolls」は、scrollで「巻物」。複数で意味を取り
 続けて「大いなる物語」。というような意味でありましょうか。
 開発はBethesdaSOFTWORKS。日本語版はスパイク(http://www.spike.co.jp/index.php)。
 スパイクはこれという自社ブランドゲームがあまりない気がしますが
 向こうのゲームをこちらに移植する仕事は多く手がけておりまして
 本作の仕事も問題ない出来であります。いきなり『4』で
 つまりいままでのを国内向けに作ってくれるメーカーさんがなかったことを思えば
 良くぞ英語が苦手な日本向けに作ってくれたと拍手喝采のこころ。



・それで、その評判のゲームはどういう感じなのか。
 一体どういうようなつくりのゲームであるのか。

 The Elder Scrollsシリーズでは、常に究極の可能性の実現を目指してきました。
 どんな人物になって、どこに行き、何をするかはすべてプレイヤーに思いのまま。
 つまり、「別の世界で、別の人生を生きる」ことがこのゲームの醍醐味です。
         取扱説明書巻頭より 「Oblivionについて」Oblivion開発チーム

 
・以下、既存のRPGで思い浮かべていただきたい。

・それを実現するために、広い舞台が用意されている。3Dである。乗り物は徒歩か馬。
 公共交通機関なし。隅々まで歩こうとすると相当に広い。
 もっとも地図上指定で街から街へは最初から自動移動可能ゆえストレスはありません。

・プレイヤーはひとり。オンライン要素はまったくなく常に自分ひとりが主人公。
 外観は最初に性別はもちろん、ファンタジー風のいろいろな種族から選べて
 目や鼻や口の大きさとかも、相当自由に変えられる。
 能力値は職業や守護星座のようなものを選ぶことであるていど自動決定。
 キャラメイキングにひたすら凝る、とはいっても戦闘能力数値の上げ下げではなく
 純粋に気に入る、美しい相応しい、面白い味のある見た目になるかどうかなのである。

・魔界のようなところからモンスターが現れる門が、世界中に発生しているので
 それを潰すのが大まかな目的。文句なく倒しても良い悪。敵。
 敵は他にも作れて、自分が悪になってひとを襲っても良し、せこくこそドロも良し。
 戦士か盗賊か魔法使いか暗殺が進むべき方向性の手引き。もちろん全部もこなせる。
 主人公は自分ひとりなので、最終的には自分万能最強である。

・街でいろいろなひとと話をすると、頼みごとをされる。
 するとメニュー画面に項目ができて、その指示通り達成するとクエストクリア。
 本筋の話や関係ないもの含めて、それらを複数いくつもこなしていくのが進行過程。
 お金を貯めたり、スキル経験を積んで能力を上げたり
 職業に合わせた能力上昇が成されればレベルが上がって、自分と敵が強くなる。


・『ジルオール』のようなレベルの上がり方だ。
 シナリオの配し方、進め方は『ロマサガ』、いや本筋の全体に対する軽さからし
 『サガフロ1』のリュート編がもっとも近い。
 全体の成そうとする目的に対する手段の類似を感じるのは『ルナティックドーン2』系。
 特徴、戦闘パーティというものがなく常に操作は自分ひとりであること、
 誤って見方に攻撃できてしまえること等から
 見た目からも、もっとも近いと言えるのは
 MMORPGをオフラインで遊ぶようなそれである。




RPGとは役割を演じるゲーム、という文字の意味であります。
 役割を演じる劇。それと違うのはゲームであるということ。
 筋が決まっていなくて誰かと同じ規則の元で競争するもの。
 言葉にすると曖昧であるけれど、具体的にはゲームブックのようなものである。
 それを複数人で遊ぶとテーブルトークRPGと呼ばれるそれである。
 そして、その本が決めてくれるルール、語られるお話を
 ゲームマスターが判断して皆で演じる展開を
 ゲーム機にさせるのがテレビゲームのRPGなのである。


・それをもっとも忠実に、つまり文字の意味通りに作っているのが
 オンラインのRPG、特にMMORPGという種類のそれです。
 『FF11』とか『ウルティマオンライン』とか『ラグナログオンライン』とか。
 IT用語辞典:MMORPGとは http://e-words.jp/w/MMORPG.html 
 MMORPG - Wikipedia  http://ja.wikipedia.org/wiki/MMORPG

・何か色々難しいことが書いてありますが、要するにオンラインRPGの内、
 ひとつの世界に皆がいるのがMMORPG
 『モンスターハンター』や『ファンタシースター』や『QoD』のようなら
 MMOではない。RPGでなくとも、それ以外のオンライン対戦ゲームは皆後者。
 つまりMMOとは、オンラインゲームにおいて例外的に、いやオフラインを含めても
 すごくとても大勢が同時に一緒に遊べる特殊なゲームのことなのである。

・そして、これぞ究極のRPGである、と間違いなく言えるのであります。
 RPGロールプレイングゲームという文字の意味を追うならば。
 遊び手の好みに合わせ、規則はお話に沿うべく作られた、架空の美しき魅力的世界。
 理想の一面を体現することができる価値持つ強い自分。
 そこにいるのは、現実と変わらぬ関係を築くことが可能な大勢の人たち。
 現実では実現できないことも成しえる可能性の高い世界であり
 生きるために消尽しなければいけない第一の生活より
 好きなことが出来る分だけ魅力ある「セカンドライフ」なのであります。



・オンラインRPGこそ究極。
 では、なぜ『オブリビオン』は1人用オフラインRPGなのか。
 『FF11』はオンラインなのに『FF12』はそうでないのか。


・オンラインRPGでは、終わりがない。終わるわけにはいかない。
 誰も魔王を倒して世界を救うことを望んでいないのである。
 みんなと一緒に、敵に倒されない程度に楽しんで敵を倒せれば良いのだ。
 現状が最上なのだから、今が変わったり終わったりしては、こまるのである。

・それはそれでも良い。いつまでも読み終えられない本も、面白がれる限りはそれで良い。
 けれど、それだけを読んでいるだけでも楽しめるほど、遊ぶ方は単純でない。
 飽きる。それ以外も欲しい。それ以外も良い。それ以外もあっても良いのだ。
 読み終えて、終わること、終えられることにも価値はあるのである。
 すくなくとも終わらない話ではない、というだけのことにも。


・オンラインRPGに主人公はいない、という点がもうひとつ。

・オンラインに構築されたゲーム世界には、倒すべき敵と
 それを倒すことを目的とするひとたちがいる。
 みんなの間には色々な違いがある。見た目だけではない。能力も違う。
 経験が違う。ゲームの上手い下手さが違う。強さが違うのだ。
 そうでなければいけないのである。RPGとは、敵を倒すことを競うゲームなのだ。
 ひとが集まって遊ぶものであり、集まれば対戦するにせよ協力するにせよ、
 会話して友好を深めるだけではなく
 有利不利のない公平なルールのもと競い合わずには、いられないものなのである。
 それが遊びというもの。
 ルールのない遊びは現実にいくらでもあって
 その理不尽さが嫌だからこそ、公平なゲームの世界でも、遊ぶのである。

・その結果、強い弱いがある以上、勝者と敗者ができる。当然そうなるのだが
 敗者はもちろん勝った状態よりも面白くない。
 好きで、楽しむために遊んでいるはずなのに負ける。
 しかも相手は現実と同じ。
 現実にいる現実の自分と同じ程度でなければならない人間である。
 絶対に人間より優れている計算機ではないのだ。
 勝者と敗者には誰もがなれても、お話の主人公に誰もがなれるよう
 誰かがお膳立てしてくれるわけではない。
 それがオンラインRPGというものなのである。


・しかしオフラインRPGは違う。
 自分が電源を切るまで間違った計算は行えない計算機が
 自分と競うのではなく、その力で自分に合わせて世界を構築してくれるもの。
 主人公は自分である。
 気に入らなければ電源を切って入力条件を変えて計算し直させれば良い。
 自分の思うままの世界を、構築は出来なくとも選択して、誰も文句は言わない。
 それがRPGのにおいて、文字通りの意味に行き着く必要のないところにも見つけた、
 1人で遊ぶ用RPGの、価値なのである。




・『オブリビオン』はとても良く出来ています。
 最高の自由度。広大な世界。その量。見た目のきれいさ。
 この方向性において世界最高峰を名乗るだけの出来。
 すくなくとも日本産RPGで、これに勝るものは全くない。
 『ザナドゥ』(ではなく追記訂正『ソーサリアン』)や『ルナティックドーン』の志は買っても
 時代とはいえ技術、中身がまるでついて来ていないし
 『サガ』の言うフリーシナリオの意図するところは
 『オブリビオン』の求める自由度とは違う。
 結局のところ『ドラクエ』型の姿追いであり
 自由度の究極を求めようとすること自体がほとんどない。


・けれど『オブリビオン』はRPGの究極ではない。完成ではない。最高でもない。

MMORPGのように広くもないし、自由でもない。
 そこに配置されているキャラクターは、やはりいずれは同じことしか喋れなくなるし
 会話をして友達になったり本当に恨みあう仲になることはできない。
 広大な世界と用意されたシナリオはもちろん
 そんじょそこいらのオフラインRPGが束になってもかなわぬ量を遊ばせてくれるが
 オンラインRPGテーブルトークRPG
 何もなくとも用意せずとも新しく生成できることに比べると、
 確かに量でもあるいは質でも上回れても、見えないところだとしても限界がある。

・操れるのは自分だけ。戦いは結局自分が相手より強いかのみであり
 現実のように、あるいはオンラインRPGのように、そしてオフラインRPGのようにも
 仲間と戦力を育成、協力、活用することができない。


・『オブリビオン』は本当に凄いと思います。
 『FF12』の過剰な作りこみは無駄に凄く、
 これ以上にお金、すなわち手間を掛ける意味はなかろう、
 ありえない、と昨年思った次第でしたけれども
 こういう仕方もあったのだと気付かせてくれる。
 すなわち、1人でしか遊べないオンラインRPGを作り
 それを大勢に1人で、オフラインで、その量的過剰さを遊ばせるという方法です。

・そういう仕方もあったか、とは思います。
 けれどもオフラインRPGとしては『FF12』や『ペルソナ3』の方が上。
 そのこころは、遊んでいてその方が面白いから。
 戦闘が面白いし、世界を見て回るのが面白いし、話を進めるのも面白いから。
 なのですが、それではさすがにあれであるので理由を思いついてみよう。
 以下いつものりくつ。
 



・窮極のところは、広大な世界、遠大な自由度。
 そういうものをRPGにもとめてはいないのである。


・ゲームにおける自由度とは何か。
 何でもできる、ということは無理として、色々なことが出来る量の多寡である。
 いらいらするのでなんとなく街ゆくひとを剣で切りつける。
 それを可能とするのが自由度である。
 無限の可能性があって、どんな外見、どんな職業、どんな能力も得ることができる。
 娘が自分と結婚したいと言ってくれる。それが自由度というものである。
 か、な。

・しかし、ゲームというものは、そこで生活するのが楽しいものということよりも
 そこで公平な規則のもと競い合うこと、を言うのだ。
 なぜなら自由も。可能性も。現実の世界の方があるからである。
 そういうゲームを遊ぶ自由だけでなく、それより優れたゲームを作れる可能性もある。


RPGとは、オンラインはテーブルトークRPGのようなものを究極目標とするが
 オフラインの究極は、ゲームブックなのである。もちろん質、量ともより優れたそれだ。

・舞台も登場人物もお話も演出も用意されている。
 出来るだけきれいで美しく楽しく面白く上質なものが。
 その世界で演じ、あるいは眺め、それに介入したりできなかったりして
 不自由さの中で可能許された自由から想像して、楽しむものが
 1人で遊ぶテレビゲームのロールプレイングゲームというものなのだ。


・なぜなら、ゲームは操作するものである。自分に都合の良いように。
 自分にとって楽しいように。

・それが常に完全に出来るか。どんなようにでも思い通りになるか。
 ならばそれはSLGである。こういう入力に対して結果はこうなる。
 それを確かめて遊ぶことをゲームにしたもの。
 入力が同じなら結果も常に同じになることから帰納して遊ぶ方法だ。

・その答えがわかっていないことに価値がある。
 入力の結果を知る過程にのみ楽しさを感じられるようにしたものがAVGだ。
 正解がある。その前提のもとに操作してそれを探すことに意義があるゲーム。

・そしてその正解を探す操作自体を楽しむことに視点を置くならACTである。
 正解を知ることが目的ではない。入力の結果を楽しむものではない。
 結果を知っていて入力を変えてその違いを楽しむものでもない。
 入力操作、それをする動作自体を
 その結果が常に正しく計算されるという規則の元で楽しむものである。


RPGはそれ以外。
 答えを知るためでもなく、知っていて楽しむものでもなく
 ゲームを操ることを楽しむものでもない。
 探すことすらしない。操れもしない。答えもわからない。
 その不自由さ。それが世界であり、この現実であり
 それを再現したゲームがRPGであると、前提決まりを知っているからである。


・本当に決まりなく自由であるところに不自由はなく
 よってそこからしか見えない自由はそこにはない。

RPGにおける自由度とはそのことであって
 結局遊び手にとって良い楽しめるRPGにおいて語られる話は
 製作者が想定した以上のものではないからである。
 すくなくともゲームブックのような、オフラインRPGにおいては。