ゲームを遊ばずゲームで遊ぶ

kodamatsukimi2007-09-18



・まず、ここのところ読んだゲーム本の感想など。


・『ゲームニクスとは何か』(ISBN:434498045X)。幻冬社新書。
 新書というの書籍形式は、門外漢が少しばかり知ったかぶりを気取るとき、
 ながら専門書を読むは面倒なときがために書かれたもの。
 一方で『プレステ3はなぜ失敗したのか』(ISBN:4883806812)は
 ゲームで遊ぶことを楽しむひと、
 業界について俺はしっているぞと分かっているひとさま用に書かれた
 煽り話の種本であるのに対し
 こちらは、ゲームを遊ばず、
 ゲーム業界を使えないかどうかが分かっていないひと向けに書かれた
 まじめな本なのであります。対比です違うのです。
 よって、この本がいかに自身の理論に都合良いよう書いていても
 全然全く正しいのである。新書とはそういうものなんである。
 実はもう一方も新書なので、そういうことなのだ。


ゲームニクスというのは何んぞや、というのはこちらに説明されております。
 株式会社ダイス 事業案内:ゲームニクス事業 http://www.dice.co.jp/business/gamenics.html 
 「直感的な操作性」と「段階的な学習効果」というゲームの良いところを
 理論として実作に活かし、また他分野にも応用していきましょう、というお話。

・まことに結構なことで、是非是非どんどんがんがん進めていただいて
 この世から駄目なゲームをなくして欲しいものである。
 とはいえ、ゲーム製作者のかたがたが個人的に書かれているネット上の様々を
 拝見する感じでは、当然皆様それくらいのことは解っていそうに窺えるのである。
 個々人は解っているのに駄目なゲームがなくならないのは
 資金とか時間の都合とか、上司とか部下が無能だからとか
 遊び手側がいつまでも馬鹿であり、製作者側がいつまでも進歩しなからであるらしい。
 でもまあそういうもの。そういうことなのだ。


・ところでこれらの事柄は、ゲームを遊ぶことを楽しむひとにとっては
 どちらも知ったことでないのである。
 遊んだゲームが面白ければ良いのである。常套句。
 その周辺分野が盛り上がって活気付くことはもちろん結構。
 ゲームを作ってくれる方々が自己研鑽し
 またお金儲けてより良いゲームを作ってくれるとするなら、これも結構なこと。

・しかし結局のところ、それと、ゲームが面白いこととは関係ないことなのだ。
 偉いひとや有名なひと、優れたひと良いひとが作ったから面白い、のではない。
 ゲームの面白さはそういうものではなくて
 画面がきれいだとかお話が良いとか音楽が良いとか
 遊んでいて面白かったどうか、なのである。そういうものなんである。
 そういうこと、であるはずなのだけれども。




・さて、それはさて置き、次は『ペルソナ3』関連本。
 『設定資料集』ISBN:4757730942『ペルソナ倶楽部』ISBN:4757730950『ファンブック』ISBN:475773719X
 サウンドトラックとかドラマCDとかノベライズもあるのですがとりあえずこの3冊。
 合わせてもゲーム本体よりはまた安い。

・しかしでも、ゲームというのは凄く安いと思うのです。
 『ペルソナ3』は本編で100時間、後日談編はその半分とはいかないまでも
 それなりに遊べて、時間単価をせこく計算してみると
 ゲームセンターで平均8分\250のゲームに30数万円費やしているのと比べれば
 驚くほど安い。あまりに不均衡。家庭用ゲーム機安すぎると叫びだす。
 ここでアーケードゲームぼったくり過ぎとか思ってはいけません。
 すでに洗脳されているひとには聞こえませんので無駄無駄無駄です。


・100数十時間費やして、それだけ費やしたということは
 それだけクリアするのに、終わらせるまでにかかってしまったから、
 ということではなく、それだけ多くの量、楽しめたということです。
 RPGは長く遊ぶほどそこに、ゲーム内にあるその世界に愛着がわきます。
 SLGでは、例えばその育てた経過の結果である現状に、もちろん思い入れはあるけれど
 また自分で全てを消すことができ、すぐに忘れることもできる。
 またはじめから遊びなおせて、同じところへもたどり着けるから。
 けれどRPGの中にある世界は違って、自分で変えることが出来ない。
 結果は真似できても過程は同じ様に経験できない。そこで何度も遊ぶものだから。

・『ペルソナ倶楽部』は今までどおり、ファンから寄せられたイラストが
 多数収録されております。
 恐らく『ドラクエ』関連本からゲーム製作会社主導で始まったと思われる
 ゲームアンソロジーコミックは、長いことかけ地味に勢力拡大して
 この『ぺルソナ3』でも何冊とでておりますけれども
 それを読んで、設定資料集読んで、さらにこのゲームで作られた世界を
 好きになったファンがその思いを共有する場所、というのがなかなかない。
 『ペルソナ倶楽部』シリーズのファンイラストは公式にそれを楽しめるわけです。
 作られたゲームはひとつでも、遊ぶひとの数だけ、そこから世界がつくられる。
 そしてそれをまた共有して楽しむ。


・100時間だろうが200時間だろうが、いや長く遊んでその世界が大きくなるほど
 そのゲームの価値もまたどんどん大きくなっていく。
 それがRPGという形式のゲームのもっとも楽しいところであります。
 終わってしまうのがもったいない。続編を。話としては終わっているから
 同じゲームでいいから同じ面白さのもうひとつを。
 それがRPGの魅力なのであります。

・そしてそれを、お話が始まって終わることで立ち上がる世界、という基本構造を置いても
 遊び手同士が直接手を取り合えることで補っているのがオンラインRPGでありましょう。
 友人やしらないひとや敵がいる限り、世界が広がり続ける世界。
 充分に管理はされない決まりだから、自己管理もしないとすっきりできないけれど
 自分でその価値を高めることも、またできる。

・逆に、オンラインでないRPGにそういう魅力を持たせるにはどうすれば良いのか。
 舞台設定、登場人物、お話、それを支える良く出来たゲームであるという土台。
 ネットのファンサイトや公式書籍、アンソロジー、同人誌など。
 そういうところでそれぞれの世界を共有する気にさせるだけの魅力を
 それらそれぞれが持てているか。やはりそういうことでしかないのです。
 良いゲームとはそういうものです。遊んで面白いもの。魅力あるもの。
 みんなに薦めたくなるもの。共に遊びたくなるもの。
 つまり面白いゲームです。




・お次は『ゲームサイド Vol.8』の記事についてメモ。
 全体としては、マニアから新規まで幅広くいるであろう読者の上で
 良いバランス具合を保っているように見受けられるであります。
 『ユーゲー』のころより良い感じなのではなかろうか。と思うのですが
 こればっかりは、いち読者の見方でどうこういえない難しいところである。
 巻頭の『悪魔城ドラキュラ Xクロニクル』(音注意 http://www.konami.jp/gs/game/dracula/)の
 紹介記事も、元ゲームの好き好き度が伝わってきて良い感じ。
 けれど以前紹介していた『己のダンジョン』(ASIN:B000IBDFJY)は
 擁護しようがないほどに、あれだったから。ええと。どうかと。ううむ。

・それで、気になった記事は「ゲームコレクター対談」。
 恋パラ支部長さん(http://zenfami.blog91.fc2.com/)、酒缶さん(http://www.sakekan.com/)、9999さん(http://www.asahi-net.or.jp/~vj8h-ooym/)、
 3名のゲームコレクターになる対談記事です。


・このサイトを書いているひとは、サイト名に一応「ゲーマー」がついてはいますが
 ゲームが好きなひと、趣味であるひと、というだけで
 上手いわけでも偉いわけでも、沢山集めているわけでもない。
 例えば、PSやPS2GCメモリーカードにセーブデータを保存する形式であるけれど
 それぞれひとつずつしか持っておりません。
 セーブデータは取っておかない。
 ゲームソフトは売りこそしないけれども
 クリアしてさらに何度も遊ぶゲームは、本当に限られていて
 過去常に片手で数えられるくらいでありました。

・コレクターではないわけです。売らないのは面倒だからで
 実際自分が何を持っているのか、何本有るのかさっぱりわからない。
 これには学生のころの自分でも驚くと思うのですが
 今まで食べたパンの枚数、ではなくて、読んだことのある小説の数を覚えているのか、
 と問われたらば答えられるひとはいなかろう、というに同じなのです。
 大げさですがそういうことなのです。
 内容も同じ様に忘れています。
 遊んだことがあるかは思い出せても、中身はほとんど覚えていない。


・それで、ゲームを集めているひと、コレクターというものに疑問であるのは
 何のために集めているのか、ということ。
 遊ぶため。集めるため。両方であろうと思われます。
 集めるために集めたものでも遊ぶこともある。それもわかります。
 しかし、集めるためなのだから興味がなくても買う。
 だから面白いとは思わない。遊ばずに並べて飾るのだろう。
 それで良いのだろうか。

・なぜなら興味がなくとも、ゲームの面白さは知っているのだから
 その興味のないゲームも、面白いのではないのかと思わないのか、
 ということであります。

・普通は、お金と時間の制約から、遊ばずにこれは面白くないに違いない、
 または、この買ったものより面白くないに違いない、と思って忘れる。
 遊んでもいないのに内容をとやかく言ってはいけない、というように言えるけれど
 これは自戒であって、ひとさまがとやかく言うとき
 本当であるかに関わらず、そこにどれだけ参照すべき材料があるかは
 自分で判断しなければならない、と言っているにすぎない。
 遊んでいなければそれについて言ってはいけないということはないのである。
 遊んでいないけれどこれは面白くないに違いないと判断して良いのである。
 それで後悔することだって、ゲームで遊ぶことだから。

・けれど、買って飾って目の前にあるのに遊んでみないとはどういうことか。
 それが遊んでいないけれども面白くないものと知っているのか。
 時間がないから。積みゲームが常にあるのだからそういう風にはいえないようである。
 しかしこれは、積むつもりでなく遊ぶつもりで買ったのだ。
 まだ覚えているのです。中身を、多分面白いであろうとしか知っていないことを。


・ゲームに限らず何でも、それについて知っていなくともそれで遊ぶことはできる。
 そのゲームを遊んだことがなくとも、そのゲームで楽しむことは出来る。
 結局ゲーム収集というのはそういうことなのだろうか。
 また、こうも言えるかもしれない。
 ゲームの面白がり方、面白いと感じられる部分、構造、様式とは
 良し悪しに関わらず、やはりひとそれぞれであるのだと。





・最期に本日のまとめとして、『アーモダイン』のところに(http://d.hatena.ne.jp/kodamatsukimi/comment?date=20070721#c
 id:hiyokoyaさんから頂いたコメントを長くなったついで、こちらへ移動。 
 はてなのコメント欄は書き込みづらいし見づらい。
 キーワードでおもしろ、に関わらず、そういうものなんでありますか。

 hiyokoya 『kodamamitsukiさんとはゲームの好みは合うなぁ。。。
  と思っていたのに、カオスシードだめなんですね。。。残念。


 >誰も未来を、確実に知らない。それがRTSの面白さである。
  この区別はけっこう重要な区分ですね^^
  コペンハーゲンのJesper Juulも、kodamaさんのおっしゃっられていることを、
  emergenceなゲーム(創発型のゲーム)、
  progressiveなゲーム(進行型のゲーム)という形で
  まさに同じような言い方で区分をたてていますね。』



 kodamatsukimi 『『カオスシード』はネバーランドカンパニーファンとして、
  初回限定版も買ったし設定資料集も買ったしと擁護したいところなのですが
  やはり冷静に見てもうひとつな出来かな、と。
  風水五行のダンジョン育成に意味がなく、
  最期はボス敵を倒せるかどうかのアクションゲームになってしまうところが。
  『煉獄弐』とかを受けて、また新しく組みなおして来るとすればまた買いであります。
  PS3で出るらしい新作に期待です。』



 hiyokoya 『 カオスシードをやったことのある人とほとんど話さないので、
  純粋に面白い指摘だなと思いました。
  プレイスタイルそのものに差があるのかもしれませんね。


  最期のほうはアクションゲームとしてもプレイできましたけれども、
  『影牢(未プレイですが)』あるいはシレンの罠ダンジョン的な方向でプレイすることも
  かなりできるようになっていた記憶があります。
  個人的には、そういう遊び方を嬉々としてやっていました。
  アクションとしても遊べるのだけれども、
  完璧な罠ダンジョンを作ることに結構燃えていましたね。
  僕はWarcraftIIIとかも、いつもそんな感じで
  高度な迎撃システムを備えた集落とかを作ってしまうのが好きですし。
  そういうプレイスタイルだと、風水五行ダンジョンの育成も
  完成度の高いものを作れば作るほどに
  迎撃システムの完成度を上げることに直結していくので、
  そこらへんで悦に入ることが可能でした。
  そのときの迎撃システムを完璧にしていく悦びは、
  シムシティで複数の変数間の複雑にからまった関係を、
  ときほどいて解決していくときに得られるような悦びのようなものがあります。


  確かにkodamaさんがプレイされたように、
  アクション重視でプレイする感覚を一度身につけてしまうと、
  短時間でクリアできます。一度そのように遊んでしまうと途端に面白みがなくなる、
  というのももちろん想像可能です。
  そしたら確かに「微妙な出来」と感じてしまうのはムリはないかもしれませんね………
  つまり、そこのところの調整は確かに甘かったというべきなのかもしれません……。
  おそらくレベルデザイン的には、そこって難しい判断になるとは思うのですが、
  比較的初期のダンジョンで、アクション重視プレイでは
  クリアが相当に難しいような面を設置しておけば、
  そこで脱落しなかったユーザー達はたぶん僕と似たような体験に辿り着けたのかもな、
  とも思います。(脱落するユーザーを産んでしまう、というのは良し悪しですが)


  たぶん、カオスシードファンになっている多くは
  僕のようなプレイスタイルの人なのではないか、と。
  どうにか上手く組み直したものが出てくれるといいんですけれどね。本当に。』



 kodamatsukimi 『なるほど、おっしゃるとおり、クリアすることを目的とし、
  その解、敵の相手はせずひたすらダンジョン駆けずり回ること、
  というようにしか遊んでいませんでした。
  『シムシティ』の例でも期間内目標達成ゲームとして
  効率だけ見ての遊び方だったように思います。
  最高効率を発見したらそれ以外は見えないプレイスタイル。まったく視野が狭いです。


  そうしてネバーランドカンパニー作品を見てみると、
  『外伝アスカ』はリアルタイムでなく幅広い選択肢が明瞭に提示されているSLG
  『邪神降臨』『シャイニングフォース ネオ』は『カオスシード』と同じく
  対CPU、対多数の敵を捌く、アクションの力押しでもクリアできるが
  杖プレイのように戦術でも対処できるSLG、ともとれるのかもしれません。
  そういう、私のような単純性急なのがすぐ飛びつくわかりやすい表面だけの効率から、
  より多様に展開可能な遊び方へと誘導するには、シレンのような例外を除けば、
  STGのスコアや、RPGのクリア時間、セーブ回数表示などが必要なんだろうと思います。
  自分で楽しみ方が見つけられないとは情けないことですが。

  
  そしてまた、表面だけ触ってわかった気になりすぐ次に移って
  「やり込まない」のが大多数のゲーム好きでもあるとは思います。
  私もアーケードで
  何度もバージョンアップし、対人対戦ゲームである『三国志大戦』を例外として、
  学生の時のようにはひとつを長く続けて遊び続けるということはありません。
  それなのに奥深いゲームにする必要があるのか。

  
  皮肉にも、表面しか遊ばないものでも、
  「無駄」として切り捨てるものがあってこそという遊び方ゆえに、
  それはあるのだけれど、
  ではどうすれば良いかというと、
  やはり良いゲームが正しく評価されて売れること、ということになるのでしょうか。
  難しいです。』



  hiyokoya 『やはり、風景の見え方がすごく近い方だなあ、と感じるコメントでした。
  ちなみに私も最近は特に、、、
  どんどんゲームに割ける時間が少なくなってきているのもありますし、
  自分をゲーマーだと意識するようになって以降は、
  時間効率重視のプレイはしています。
  一つのゲームをやりこむよりも、
  多数のゲームに触れる方を重視しているタイプですし。
  ただ、時間のかけ方の方法論の違いなのかな、と思いました。


  というのも、例えば僕の場合はシムシティであれば完全黒字体質の都市を造り、
  同時に災害に自分で対応しなくてもいいように消防署を沢山つくります。
  で、50年ぐらい放置して、別のことをやる(時には、別ハードでRPGを同時並行でやっていたり)。
  で、黒字のまま50年経過して、予算が潤沢になったところで、
  一挙にどばっと都市を増築するんですね。

 
  だいたいのSLGはこういう遊び方をしています。
  自分が手間をかけなくても大丈夫な状況で放置することによって、
  僕の場合は他のことを同時並行で行えるように時間を作り出して時間節約をします。
  シムシティで言えば、火事が起こったときに開発済みの地域を
  素早く取り壊して対応するのが
  (おそらく)アクション重視による時間節約タイプに近くて、
  消防署を充実させて勝手に消してくれるように手をかけないというのが
  放置型の時間節約なのかな、と。
  あるいは、完全放置とはいかなくとも、
  同じようなルーチンでしかゲームをしないと決めれば、
  脳みそのリソースは別のところに費やせるので、
  映画を見たり、漫画を読んだりする片手間でもけっこうできますし。


  自分で楽しみ方を見つけられている、というのは
  やはり見つけられるものと見つけられないものがあるので、
  適性だと言うほかないようなところもあるかもしれませね。やはり。
  たとえば僕はGTA3とか、いくらプレイしても、
  その面白さが体感的なところでわからないです。楽しめなくはないですけれど。
  難しいですね。』


・もう一冊最近買った本。『FF12インターナショナルアルティマニア』(ISBN:4757521006)。
 ベントスタッフの仕事は相変わらず美しい。無駄がない。賛嘆。
 けれども、だからといって『FF12インターナショナル』を買ったり遊んだりは
 しないのです。


・なぜゲームをするのか。それは面白いから。
 なぜ面白いと思っているゲームを止めて、他のゲームを遊ぶのか。
 他にも面白いゲームがあることを、経験から知っているから。
 『FF12』は無駄がある。欠点が沢山ある。
 けれどそれを補って余りある作りを持つ傑作である。
 でも『インターナショナル』を遊ばないのは、元とあまり変わらないことを
 過去の例から知っているから。そこに新しい面白さはないと思うから。


・効率を追求してそれに飛びつくという自分の遊び方は
 早くクリアして次のゲームを遊びたい、新しい面白さを知りたいから、ではない。
 効率良い遊び方とは、そのゲームの仕組みをより分かっているほど高まるものである。
 『シムシティ』の最高効率、最短人口50万突破させるには
 1マスの無駄なく見た目気にせず土地造成し、消防署は最低限に設置、
 災害時は即座にブロック破壊して拡大を抑えること。そして最期に税率操作。
 ゲームがどのようにできているのかを知っていると
 自分が知っている気になる楽しさ。
 新しいものをわかった気になったことで満足するという遊び方なのである。


・しかし『FF12』ではどうか。クリアはした。
 けれど効率の限界を知っていると、アルティマニアを見て言うことは出来ない。
 『ロマンシング サガ -ミンストレルソング-』HP30のアイシャひとりで最強ボス5体を撃破 http://www.bent.co.jp/main/ex/ex.htm
 これを読んで、自分の遊んだ『ミンストレルソング』(http://d.hatena.ne.jp/kodamatsukimi/20050522)と
 同じゲーム、同じように見たはずの景色と、いうことはできない。
 ゲームの一面しか見えていない。それで遊び終えてわかった気になっている。
 遊ばずにとやかく言ってはいけない、ならば、何も言える資格はないのである。  


・そういうものなのだ。時間がないからではない。見えない。
 上手くなければ見えない。また、下手でなければ見えないものもある。
 それが好きでなければならなく、興味があっては駄目で、クリアしてもいけない。
 RPGだからではなく、ゲームは遊んだひとの数だけ、そこに世界が作られて
 そこに見える景色は皆違うもの。奥深く浅く、良くて悪く。
 面白くて、面白くない。


・このサイトに書いてあることは、書いているひとが、ゲームについて思ったこと。
 意義はない。趣味であり暇つぶしである。
 いくらゲームを買って遊んでも相変わらず駄目なゲームを掴むこともあって
 高い理想の元で頑張って製作したゲームは遊びすらしないで、知ったかぶりすらせず
 覚えてもいず、忘れる。
 ここを読んでくれた方が、面白そうだと思って薦められているゲームを買ったとして
 本当にそれは良いゲームだったろうか。ゲームにとって良いことだろうか。


・だからゲームは、面白いかどうか、自分が遊んで面白いかどうかでしか
 自分には計れないものなのだ。
 けれど共有はできる。共にゲームで、遊ぶことはできるのである。