『タクティクスオウガ』

 バーチャルコンソール版 http://www.nintendo.co.jp/wii/vc/vc_to/index.html

 古の昔
 力こそがすべてであり
 鋼の教えと
 闇を司る魔が支配する
 ゼテギネアと呼ばれる時代があった

・1995年、14年前にスーパーファミコンで発売された本作は
 SRPGといわれるゲームジャンルのみならず
 扱う題材やキャラクター、おとななふいんき、絵のみせかたといった様々な面で
 後進多くに、多大な影響を与えた古典的名作であります。
 ファミコンが出てから『タクティクスオウガ』があらわれるまでより
 それから今に至るまでの方が長い。うむ古典。

・この2月にバーチャルコンソール版が\800で遊べるようになりましたので
 10年以上ぶりに遊んでみたのですが
 職種やアビリティなどでの取り得る手段が狭い点や
 行動順を一覧にしてみれる表がなぜかないなど、古さも感じますが
 やはり楽しい。ドット絵が素敵すぎる。カチュアもヴァイスも凄すぎる。屈折。

・久しぶりだから忘れているかと思ったら、細かい場面はともかく
 大筋や、ゲームとしてのつくりはたいして忘れていなかったので
 せっかくだから攻略本と、当時はありませんでしたがネットの攻略情報はみずに
 射程が長く命中率も低くなく、そして反撃率0と他の武器に比べて強過ぎである弓と
 女性職、すなわちリザレクションとロード以外のヒーリングプラスと召喚四姉妹禁止、
 という制限付きで遊んでみましたらかなりきつくて
 結局一か月近く遊んでしまいました。面白かった。弓強過ぎ。

・本作を作ったかたがたはその後、『ファイナルファンタジータクティクス』、
 『ベイグラントストーリー』『FF12』とかを作っておりまして
 どれもゲーム好きの琴線ふれる作品ばかりですが
 SRPGとして、本作『タクティクスオウガ』と
 『ファイナルファンタジータクティクス』を比べるなら
 後者の方が様々に欠点解消されて、より優れていると思います。
 しかしそれでも『タクティクスオウガ』が伝説の一作であることに変わりはない。
 まだ遊んだことがない方は、安価手軽に触れられるこの機会に是非。
 ちなみに攻略本はこちら(ISBN:9784893666765)がおすすめ。
 ブックオフとかに結構ころがっているのではなかろうか。



・『タクティクスオウガ』という題名は
 前作『伝説のオウガバトル』(http://www.nintendo.co.jp/wii/vc/vc_ob/index.html)に対して
 タクティクスな、戦術的な、つまりより小規模である、
 おはなしと内容であるところから名づけられたのだと思いますが
 どちらも言いなれて今更だから感じないけれども、変わったお名前です。

・この場合、このゲームが体現する「タクティクス」なるものとは
 先行する同ジャンルを代表する『ファイアーエムブレム』との差別化にありましょう。
 『タクティクスオウガ』みたいなゲーム、というのは
 斜め上から見下ろし視点の高低差あるパネルで組まれた戦場で
 部隊をぶつけあう類のゲームですが
 『エムブレム』との違いは、そして『伝説のオウガバトル』との違いは
 ゲームの進行、ストーリーに関係なく
 トレーニングなどで制限なく経験値やお金等を得て強くなれるところにあります。
 戦場で、特定キャラクタへの経験値割り振りのため
 勝利に直結する外の無駄な手間をかけることがあまりない。
 そこが「タクティクス」。ストラテジーでなくタクティクス。

・仲間同士でなぐりあうトレーニングでは、普通に戦うより
 ずっと効率良くレベルアップできます。
 またレベル1から2に上げるのも、レベル98から99に上げるのも手間は同じ。
 1レベルごとの能力上昇、強くなりかたがかなり大きく
 敵のレベルはこちらに合わせて変動するも上限があるので
 時間さえかければ詰まるということはない。

・逆に言いますと、ストラテジーな、戦略な部分、
 登場人物たちを最後までの戦い見据えてどう育てていくか、
 具体的にはレベルアップ時にどの職業でいるか、という部分が
 後からいくらでも取り返しが効くので、実質ない。

・戦場ではとにかく勝てば良いのです。ユニットは使い潰して良いのです。
 ストーリーに関わる登場人物は、主人公以外戦場に出さなくて良いのだから。
 戦力は時間さえかければ揃う。あとは戦術で間違いなく勝てば良い。
 戦術だけがゲームなのです。タクティクスなるオウガバトルの物語。


SLG、シュミレーションゲームというのは
 本作のような戦争を題材としたとき、勝つのが面白いというわけではない。
 もちろん負けるより勝った方が楽しいですが
 強さが固定された駒を使う計算機相手に
 入念に準備して勝てないはずがないのだから、勝って当たり前であり
 勝つのが目的であるだけでは、ゲームとして楽しくない。
 そうなるように準備したのだから、そうならないはずがない。
 ならないならゲームにならない。

・事前に準備をせずに挑んで負けたとき、
 なぜ負けたのか。敵が強く数が多く戦場地形や様々な状況が相手に有利だったからで
 自分の頭が悪かったから負けたわけではない、と思いたい。
 事前に知って対策を立てていなければ、負けるようになっているのが悪い。
 攻略本を読んで準備しておかなければ勝てないような仕掛けが悪い。
 いかなる状況であろうと、柔軟に対処できるという戦略以外は許されない、
 というのが悪い。

・事前に敵を知り、準備をしておくなら簡単なゲームです。
 レベルを敵より上げておけば負けようがない。
 回復役、復活役を揃え、弓や石化や召喚魔法などの強力な攻撃手段を活用するという
 定石を踏めば、戦術など不要に勝てる。


・簡単に勝つのが楽しい。トレーニングで堅実お手軽確実に強くなれるのが良い。
 当たり前に遊べば、積み重ねに見合った見返りが得られるというつくりが
 本作を偏ったマニア向けでなく、広く一般に受け入れられるものにしており
 ゆえにお薦めできるところでありますが
 しかしそれはSLGとして良くできているという半分でしかない。

・戦場に出撃する前の準備を幅広く自由にできるようしてあることで
 戦場での戦術に焦点があるように見えるゲームです。
 しかし、事前に適当な用意をしておかなければ負けるゲームでもある。
 敵はひとがあやつっている訳ではないから猪突猛進でしかない。

・このゲームで勝とうとしている相手はだれなのだろうか。
 それは、これまでの戦闘で成長したと見込まれる分より少しだけ階段を上がった所に
 戦場地形と敵配置を用意した存在であります。
 それを調べて知り、準備して、工夫して勝つことがこのゲームの目標であり
 その過程を楽しむことが、このゲームの目的です。


・敵の強さは味方の戦力に、上限はあるものの連動する。
 それは、どのような戦力を用意することで勝つことができるかをはっきりさせている。
 準備をしなければ、勝つことはできない。
 工夫しなくても、準備をすれば勝つことができる。
 工夫をすれば、より少ない手間で勝つことができる。  

・それが勝敗を競う戦争SLGというもので
 対人対戦でなければ競う勝敗は戦場の部隊運用ではなく
 事前に勝つべくして勝つよう整えた戦力を揃える戦略にこそある。
 そこがしっかりと知っていて、判っていて、出来ているのが
 『タクティクスオウガ』のSLGとして優れているところです。

 



・もうひとつ『タクティクスオウガ』が今遊んでも面白いのは
 その独特の見せ方にありましょう。こちらはSRPGRPGてき部分。

 「…従ってくれるな?こうしなければ
  ウォルスタに明日はないッ!
 1.…わかっています。
 2.馬鹿なことはやめるんだっ!

・序盤の山場、主人公が選択を迫られる場面より。
 お話全体のルート分岐がここで決まります。


・ここで正解はどちらだろうか。
 その時点で、ゲームの中にいるひとも外で遊んでいるひとも
 その後の展開がどうなるか知っていないからでなく、
 ビアンカよりフローラのほうが神秘の鎧とイオナズン分性能が上だから
 正解というわけではないと同じく、
 その後のどちらもを遊んでみても、どちらかが正解として作られていないから
 ゲームとして正解はどちらでもない。

・しかしここを遊びなおして面白いのは
 主人公はこの時、どれだけの事情を知っていたのか、
 そして、画面の外のこちら側は、主人公がどういう理由や意味合いで
 1.2.それぞれの解答をするのか知っているか、
 つまり主人公の人物についてどれだけのことを知っているのかというと
 遊んでいるこちらはどちらも、その時点ではほとんど知っていないことに気付きます。

・「僕にその手を汚せというのか」というような選択を迫られたことがないからでなく
 「思い通りにいかないのが世の中なんて割り切りたくないから」という主人公の思いに
 この時点で共感できるよう、情報が与えられていない。
 にも関わらず、選択せねばならず
 だから自分で選んだ選択でありながらこの後の展開に驚け、
 その後を知っていてもこの選択に、
 『ドラクエ5』のように正解がないからというだけでなく、
 意味を持たせ続けることができている、
 というつくりが面白い。 


・ミステリ素材のアドベンチャ―ゲームに限らず
 主人公がその選択肢を、どういう今後の行動に連続する意味で
 遊び手に選ばせているのかわからないゲームは
 それが意識してのものであるか否か不明ながら良くみかけます。
 これは、選択肢を意識させることがゲームのようにできない小説では
 あまり効果的でない手法といえましょう。

・そしてまた、その後どうなるか遊び手にわからない選択は
 ゲームとして意味がなく
 お話の展開がここで分岐するということでしかない、と見ることもできる。
 選択によるも、その結果評価にも、基準がないのだからゲームでない。
 
・しかしRPGとして、役割を演じるゲームとしては
 遊び手はここでその分岐を、その先を知るために選ぶだけではなく
 主人公の身になって、この時点でどちらの選択が
 その後の展開から正しかったかを、選択させられている。
 そして遊ぶ方は選択することで、どちらが正しいか判断する。

・ゲームとして、どちらが正しいと決まっていない。
 けれど、ゲームの中にいるひとと、その役割を演じるつもりである遊び手にとっては
 それは正しい選択でなければならないのだ。
 正しかったという理由をどこにもとめるか。
 ゲームの中と現実では、その後の全てに探すものだし
 ゲームの外からゲームを遊んでいる場合においては
 限られたそのゲームから知り得る全ての事柄より、その正しさを検証する。


・役割を演じるということは、脚本と演出による舞台にあることで
 役割を演じるゲームというのは、そこにあることを遊ぶことなのだ。
 何度でも遊ぶのだ。脚本も演出も毎回まったく同じだから
 それは観客の受け取り方のみで異なる様相をていする。
 正しさは全てのあり得る展開のどこにも用意されていなくとも
 RPGを遊ぶことは、そこに遊ぶひとと、遊ぶときの数だけ正しさを映す。
 そういうようにあることを
 『タクティクスオウガ』の見せ方は示しているように見るのです。