『ファイナルファンタジー13』

 ファイナルファンタジーXIII - PS3
 公式サイト(音注意)http://www.square-enix.co.jp/fabula/ff13/
 XBOX360ASIN:B00428LYRE

・ご存知『FF』シリーズの最新作。
 であったのはこの前までの話で
 既にその次のオンライン専用『FF14』が出ているわけですが
 ついでにPS3専用ですらもうないのですが
 ところでこのローマ数字「XIV」を「14」と
 ぱっとみてわかる日本人の方が少ないのではなかろうか。
 私もわかりません。
 ちなみに「16」は「XVI」。「XXXIX」で「39」
 20年後くらいにはこの数字を『FF』の後に続いて目にするかもしれない。


・たくさんでている『FF』シリーズでありますが
 私も昔からゲーマーをしているので、オンラインの「11」「14」を除いて
 みんな遊んだことがあるわけです。
 それを踏まえて言いたい。
 『FF』の「ストーリー」が面白くないのは昔から初めから終始そうである。
 いまさら「8」とか「10」とか「13」はひどい、と言うのはおかしい。
 昔からおかしいのだ。
 作っている会社はほぼ同じでも作っているひとは変わっているはずなのに
 なぜ相変わらず夏向きに寒気のする駄目さ加減なのか不思議ですが
 それが伝統の『FF』らしさなのでありましょう。 


・昔は気にならなくて最近気になる、のは遊んでいるひとの年齢層もあるし
 何よりみためがきれいになったことが大きい。
 「リアルリアリティ」というやつである。
 「人間が書けていない」文学賞自主辞退しない限り審査委員都知事である。

・『FF13』もあきれるほど素晴らしい。
 そこいらの同じ値段で売っているゲームを詐欺だと叩き割りたくなるくらい、
 どれだけ手間と技術と能力と時間とお金を無駄にかけているのか、と憤る。
 見せ場用の部分だけでなく
 戦闘とかメニュー画面とか背景に至るまで、過ぎる贅沢なつくり。
 見ていればそのうちきれいさには慣れるものなのですが
 いつまでも続くきれいさの量にはまったく感服。
 こういう商品を可能とするデジタル技術に平伏。

・その圧倒的物量価値の前には、お子様向けのお話なぞどうでも良いのである。
 ゲーム部分が面白かろうがなんだろうが大して意味ないのである。
 これだけ手間かけるなら映画にすれば良いのに、とは思うけれど
 このお話で映画にして売れるわけがない。
 子供向けのゲームだからみためさえあれば良いのだ。
 まったくもって素晴らしい。



・ゲームとしては、これも『FF』シリーズの伝統に沿って
 アクテイブタイムバトル、ATBという枠は残しつつ
 その中で今回も大きく変えています。
 『FF10』よりさらに成長も進行も一本道にし
 その代わり、それぞれの戦闘ごとの完結度合いを高めている。
 HPや状態異常は戦闘終了時に全て回復、MPは存在せず
 アイテムはセーブポイントで購入売買する。

・回復アイテム所持数量やMP残量といった「資源」をどこでどれだけ使用するか、
 という「ゲーム要素」がなくなった、とも言えるし
 目の前のひと戦闘を乗り越える算段さえ付ければ最後までたどり着けるので、
 ひとつずつの戦闘に解答できるかの「ゲーム性」が高まった、とも言える。
 強引に目先だけの利害を見て先に進めることもできるし
 進めなくなったとき戻ることなくその場で解決できるようになってもいる。


・ただ、『FF13』という作品全体を眺めた場合、
 RPG風の、戦闘して成長して戦闘してという部分が、適量なのかは
 今回かなり疑問。
 雑魚戦闘はいらないのではなかろうか。
 武器も全てイベント入手で良いのでは。鍛えるのはおまけ程度で。
 戦闘部分は、「RPGだから」用意されているように見える。
 『FF13』に必要かどうかだからではなく。

・キャラクターの個性を示すのに戦闘場面はわかりやすいし
 想定主要顧客であろう小中高校生男子にも魅力あるものだけれど
 ゲームは『FF13』だけではない。
 このゲームを楽しむ時間には限りがあり
 今やテレビの前に座って長時間ゲームをするほうがおかしい風なのである。


・そこで思うのは
 『FF13』は映画でなくゲームだからこそ
 一応いまのところ2009年から2010年くらいまでは
 商品として成り立っているのだけれど
 RPGである必要はどれだけあるのだろうか。

・しかしまた思うには
 RPGというのは良くわからないものでもあることよ。
 RPGとはふつう現在一般に『ドラクエ』のようなものを指すけれど
 『ウィザードリィ』とかTRPGとか『指輪物語』とかファンタジーの定義とか
 いろいろ遡り馳せ下りしてみるに、
 「役割を演じるゲーム」という字面の意味からは、
 何でも指し得るのではないか、というようにでも解釈できてしまえるのでは。
 例えば「『ドラクエ』のようなもの」というのはどこからどこまでを指すか。
 何がゲームで何がゲームでないのか。


・ただ、「テレビゲーム」と今のところ呼ばれているもの、
 携帯ゲーム機でもゲームセンターに置いてあるゲームも含むそれについて、
 これまでそれに含まれていたもので、分類した際の、RPGはわりと明確である。

・まず「アクションゲーム」。タイミング良くボタンを押すと良い評価。
 「パズルゲーム」。正しい答えを見つけられると良い評価。
 「アドベンチャーゲーム」、という呼び方は適当ではないけれど
 これはページをめくる快感であり、物語を体感する楽しさではなく
 升目を塗りつぶして隙間を埋めていく楽しさである。
 最後まで読むと完結することが約束されているから、埋めるのが楽しく
 埋めていく行為量が評価されるのが楽しい。
 いわゆるRPGで、成長したりアイテムを得て強くなる快感がそれ。

・全てのゲーム、その中の「テレビゲーム」と呼ばれているもののうち
 1人用、つまり計算機の中の数式と意味を与えられた数値順相手に
 遊ぶゲームは全てこの3つの組み合わせである。
 そしていわゆる狭義の、ここでいう『FF』がそうだという「RPG」は
 このうち「アドベンチャーゲーム」と呼ばれているものへ軸を主に置くもの。
 その「ゲーム」の上に、お話とかキャラクタとかみためを載せたもの。


・そういうように、「ゲーム」がこれまで採ってきた在り様の分類から見ると
 「RPG」と呼ばれる枠を、自分で概念としてそのようなもの、と作ったその枠へ
 無理に当てはめるべく作っているように見えるのである。
 ただ既存のものがそうだからそうしているものが殆どだけれど
 『FF』もその「枠」から、あれだけみために優れた質と量を費やしていながら
 逃れられていないのだ。
 逃れようともしていないと思う。
 いまだRPGは『ウィザードリィ』とか『ウルティマ』を参照して作った
 『ドラクエ』のようなもの、という枠に、『FF』シリーズは嵌っている。
 当て嵌めている。 
 それは悪いことではなく、
 商品としてこの先も続けていくことに大切なものではあるのだろうけれど、
 『FF13』をより楽しく良いゲームであると感じるためには邪魔。


・『FF13』は、ボタンをただ押しているだけで最後まで進める、
 そういう「ゲーム」であっても良かったのではないか。
 より遊びたいひとには、工夫するほど早さや巧さで高評価を与える仕組みに
 余力を割く作りで良いのではなかろうか。
 ボタンをただ押すだけにも、押した回数や速さやタイミングに合っているかや
 どのボタンをいつ押したかでも評価できる。
 映画でなく、ゲームでなければ
 作品としてでなく、商品としてなりたたないとしても
 『ドラクエ』のようなRPGでなければならない言い訳は、とうの昔にない。
 素晴らしいみために見合う中身を
 名前どおり最後の限界まで作り出していただきたいものである。
 『FF』はあってもテレビゲームなどというものが
 いつまでもあるとは限らないのであるからしてゆえに。