クリアしても楽しめるゲーム


・9月17日の「完成されたゲーム 不思議のダンジョン」(http://d.hatena.ne.jp/kodamatsukimi/20040917
 についてご意見をいただきました。

 モニさんの「鳴かぬなら 俺が鳴きますからもう許してください」9月22日
   http://d.hatena.ne.jp/m0nlmanl/20040922


・私の「完成されたゲームシステムは変化する必要がなく、よって進歩もしない。」
 という文に対して

風来のシレン」 はプレイヤー自身のレベルが上がるゲームである。


この言葉には、さらに続きがあると俺は考える。
それは、「レベルが上がったプレイヤーは、自分でゲームのレベルを調節できる。」というものだ。
つまり大抵のゲームで自然発生する “やりこみ” ができるようになるということであり、
シレンで言うなればそれは制限プレイのことに他ならない。


これはシレンに限らず、やりこみができるゲームならば全て当てはまるのではないかと思う。
その中でも風来のシレンシリーズは、
ある条件を決めるだけで1度クリアしたダンジョンが何十倍も何百倍も難しくなり、
面白くなるゲームなのだ。
ゲーム内に設定されていない条件で、
これほど “やりこみ” 甲斐があるゲームは珍しいと思う。


以上を踏まえた上での
「このゲームは完成されていて、どこにも不満がない」というのは、どういうことか。
それは、ゲームに遊ばれていることに気づいていない人で、
且つやりこみができるレベルに達していない人なのだと思う。

 
・「プレイヤー自身のレベルが上がることで「やりこみ」ができるようになる。
  ゲームに遊ばされるのではなく、ゲームを遊ぶのだ。」

・ここで言う「やりこみ」とは、
 決められたゲーム内のルールを充分に理解した上で
 そのルールを使ってゲームを遊ぶことができる、ということ。


・まったくその通りです。
 製作者が考えた「ゲーム」、それを味わった上で
 さらにそれを材料にして「ゲーム」を楽しむことができる。

 
・面白いゲームとは何か。
 いろいろな答えがありますが、「何度も遊べるもの」もそのひとつ。

・「不思議のダンジョン」は1000回遊べます。
 製作者が想定するゲームクリアはその1000回目でしょうか。
 おそらく違うでしょう。
 ゲームをクリアしても、ゲームシステムを理解できても、
 さらになお、それまで以上に楽しむことができるゲーム。

・面白いゲームは何度遊んでも面白い。


・逆に、「はじめの一回が最高に面白いゲーム」も面白いゲームです。
 例えば謎解き要素のあるゲームでは
 答えを知らないときと、知っていて遊ぶときでは面白さが異なります。
 優れたゲームは知っていて遊んでも楽しめますが、
 やはりはじめて謎を解くときの「面白さ」は、最初一度だけのもの。


・何度でも遊べるゲームにおいて
 「ゲームに遊ばされている」段階、クリアしていないとき、
 プレイヤーのレベルが低く、ゲームを理解し得ていないとき。
 その状態ではおもしろくないか。

・やはり優れたゲームには、その段階でこそ楽しめる面白さがあります。
 それははじめの一度しか味わえないもの。

・ゲームを繰り返し遊ぶ過程で、はじめてのときの面白さはその度に追体験されます。
 そのゲームに刻まれた経験としてプレイヤーを楽しませてくれます。
 はじめて遊んだときは、はじめてならではの楽しさを。
 繰り返し遊んでも、答えを知っていても、答えを見つける過程を楽しめるゲーム。
 

・「不思議のダンジョン」は局面に応じ、
 プレイヤーの数だけの正しい答えがあるゲーム。
 答えがわかっていても、
 新しい問題をプレイヤー自身が作り上げる遊びをもったゲーム。
 何度でも遊べます。
 面白さがどこにあるのかを充分に理解したメーカーによって完成され、
 プレイヤーが決めることができるシステムの遊び、自由度、
 やりこみ甲斐の邪魔をすることなく
 クリアしたあとも1000回遊ばせてくれます。
 素晴らしいゲーム。


・しかし、ただひとつの正しい答えしかない「遊ばされるゲーム」でも
 やはりそれを探すのは面白いのです。
 どちらが面白いか、比べることはできません。
 ゲームの面白さはいろいろです。 


関連;4月21日 RPGの王道を征くは「やりこみ」にあらずhttp://d.hatena.ne.jp/kodamatsukimi/20040421#p2

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