『FF12』から見えない未来

kodamatsukimi2006-06-25



スタジオベントスタッフhttp://www.bent.co.jp/)による
 『FF12アルティマニア』(ISBN:4757516967 ISBN:4757516975)が厚く発売されました。
 相変わらず内容見事、これほど分厚くとも隅々まで読めて
 同じ値段の下手なゲーム遊ぶよりも楽しいです。

・各スタッフインタビューに大概名前出てくる、
 原案/シナリオプロット/監修の方へインタビュー無いのが画竜点睛欠きますが
 さらなるやり込み回り含めてオメガ版にてなるのだろうか。なってください。


・優れたゲーム本はゲームを遊びたくなる欲も湧き立たせてくれますので
 『FF12』を再び遊ぶ。うむ。良く出来ているなり。
 振り返って全体見てみると、クリア直ぐの時(http://d.hatena.ne.jp/kodamatsukimi/20060404
 に同じく、総じて良く出来ている、と感想。


・今回は発売からやや間置き改めて
 『ファイナルファンタジー12』がどうであったか、であります。
 ちなみに『8』『10-2』除いて『4』以降は複数回遊んでいますが
 中でも『7』が1番好きです。『11』は遊んでいないですます。

戦闘と成長の仕組み

・成長の仕方、戦闘の成り立たせ方という点、『FF12』は特殊です。
 戦闘で使用する各キャラクターに成長個性がない。
 上がりやすい能力値傾向は個々にあるけれど
 それを無視しても、いつでも軌道修正可能範囲ゆえ苦労することはない。
 つまり、効率を優先しなくとも全員が万能能力者に育ってしまう。
 個々のキャラクター性、個性が戦闘において感じられない。

・これは改めてみると、アクション要素ない集団戦闘形式において、かなり稀。
 他に類例余り思いつきません。


・個性あるその道スペシャリストが力を合わせることで
 個人で太刀打ちできない強大な相手を打ち負かす。
 これは例によって、『ウィズ』の昔からそうだ、というより
 将棋にしてもカードゲームにしても
 戦闘シミュレーションゲームにおいては大概なんでもそうだ、
 というべきですけれど、なぜ『FF12』ではそうしなかったのか。

・途中どのような方法で進めようとも全体見て影響がない、ということは
 その場面ごと最善手段に自由度が広い、と見るべきか。
 能力を特化させて育ててしまえないようにしたのはなぜか。
 取り得る方法が幅広くならないよう誘導するためか。



・『FF12』の戦闘において見ため特徴であるのが「シームレスバトル」と「ガンビット」。
 戦闘専用フィールドに置き換わることなく行われる戦闘。
 どの場合どのように行動すべきかあらかじめ指示しておける自動戦闘。

・これは、見ためからの要請、『FF11』で既に果たされているRPG最先端の戦闘風景を
 個人で遊ぶRPGへも導入することによるもの、と思われますけれども
 その結果として遊んでみて感じるのは、
 戦闘でボタン連打をする必要が無くなったということです。


・景色を眺めていると後ろから敵が襲い掛かってくる。
 遊び手が何も指示しなくとも、ボタン一つ押さなくとも、
 勝手に戦闘が始まり、終わります。

・楽。強くしておけば見ているだけで良い。
 これを拡張して、最強の敵をボタンひとつ押さなくとも自動的に倒せたときこそ
 このゲームを極めたと感じる瞬間、ここがRPGの最先端かとの感慨です。



・これは、戦闘に広い場所が必要であるから面倒を省くためか、と
 オンラインRPGを遊んだことがない身からは見るのですが
 つまりそのためにキャラクター個性がないのだろうか。


・成長のあるなしに関わらず戦闘シミュレーションゲームにおいて
 勝つためにすることは、現有戦力を相手に合わせて活かすこと。
 長所と欠点を併せ持った駒をどのように並べて勝ちを拾うか。

・全ての札が同じ能力同士の戦いならばどうか。
 相手が全く同じ札を持っている場合はどうか。
 どんな相手にも勝つためゆえに生じる手札の丸まりを、持たせず
 不利な相手にも取りかた次第で勝てるようにするべきかどうか。


・非オンラインRPGの戦闘では、敵の能力は固定です。
 強さが上下することはあっても、それはこちらの手札によるゆえ見通し付く。
 敵の戦力戦術は、必ず戦う前から知れている。
 そこに戦術性、戦闘の面白さを出すためにある工夫は
 特化した能力を持つ個性の集まりでありながら
 けれどどんな敵にも相手できるようある、こちらの長所を発揮すること。

・それでは何も変わらないではないか。
 けれど何かに特化させた能力に固定して不利な敵に戦うことを強制させるのは
 より良い仕方ではない。

・では逆だ。
 手札の能力は特化し難いように誘導するけれども、どんな種の敵であっても
 同じ手順で戦うよう強制する。
 もちろん強制ではなくて、
 だから大半は自動的に楽しさを削いでしまうかもしれないけれども
 そこは勝利でなく成長の楽しさが補うのであり
 究極は成長でなく、戦術の適正化こそこのゲームの戦闘における眼目であるのだ、と。



・いつものことですが、どうもAB3と同じ見方(http://ab-3.net/2006/04/ff12_1.html)に
 立つようである。
 オンラインRPGを遊んでみればまた違ってくるのでしょうけれども。社会人には無理。

見かけ表現演出手法

・原案/シナリオプロット/監修のひとが発売後何も言っていない現状でお話を見ると
 ひとは歴史の傍観者にしかなれない、といういつものテーマを表現するに
 今回はもうひとつ、物語の主人公描写が上手くなかった、という風にいえます。

・いつもの、語り手に見えていないことは遊び手にも見えないのだ、という手法が
 今回伝わりにくかったというのは
 例えば『12』を『FF6』張りの2D見た目でDSに移植したものを想像できるかと問うて
 容易に答えが見える点からし
 新しい表現手段が取られていない。けれど見た目に違う。
 だからだ、と大上段に振りかざして言えるあたりが
 「現時点最高」というところ。今度のDS版『FF3』は元がもとだけになんとも。



・世界は歩いて回るには広く、乗り物使うには狭い。
 一度通っておしまいでなく、そしてシームレスバトルに伴う表現は
 歩いて我慢できる限度で広く、が本作の答え。
 RPGにおいて背景をどのようにどこまで見せるかとして
 力技に頼れるからこその独自表現もちろん『ドラクエ8』以上。RPG史上最高。

・この辺りはやはり、『FF』のどれかと比べてというよりも
 『オウガ』『FFT』『ベイグラント』の拡張として見てしまいますが
 今からすれば『ドラクエ』が『5』あるいは『4』で既に失ってしまった世界の広さを
 むしろ『FF』こそは持ち続けていたのであり
 『FF7』『FF10』『FF11』はそれぞれに大きな転換点であって
 けれど『FF12』はそうではなかったのだ。
 そういうように言えます。


・『FF12』では、その個性として『FF10』とまた違く
 より統一感説得力ある世界へとまとまり持たせようとした。
 けれどやはり世界は狭い。 

RPGにおいて、世界の背景は広い方が良いのか狭くとも深いほうが良いのか。
 物語は無限に想像できるとしても、広く多様である方がより良い。
 けれど表現が難しい。ますます難しい。狭く深くなければできない。
 リアルであり現実的であろうとするほど世界はますます狭く
 もはや誰も世界を救う勇者には、おとぎ話の中にしかなれない。
 もちろんそれも手段の一つではあるけれど。


・『ウィザードリィ』がその狭さゆえに、
 現代日本においても現実身近に感じられるのは
 非オンラインRPGの果てにある現状の視界から感じる限界か。
 その世界の全ては所詮、製作者の掌中でしかない。
 だからといって計算機の無理数上に世界を自動構築したとしても
 多様ではないし、魅力もない。
 
・想像できないものは創造できない。2001年宇宙の旅
 けれど、それは現時点でのこと。
 『FF12』に未来は見出だせなくとも
 「現時点」はかつての未来より、既に先へと、常に進み続けていくのだから。
 次の現時点最高究極は、今に想像できないものであるのだから。