・『祭囃し編』ようやく読み終え。そして『ひぐらしのなく頃に解』、
かつ『ひぐらしのなく頃に』を2年越しに読み終え。
その全体をかえりみるにとても巨大なつくりで
充分に咀嚼しきれていないけれども感想をひとつ。
・最期まで驚かさせられる内容でありました。
そういう世界観だったのか。聞いていない。ありえない。驚きだ。
事件の犯人は製作者であり、によって悲劇と喜劇で演出された惨劇に
見事踊らされた私もそのひとり。
参った。上手い。素晴らしい。
・この『ひぐらしのなく頃に』は実に面白いです。
選択肢がないノベルゲームはゲームなのか、ではゲーム性とは何か。
全体を8つに分けて順次発表発売の連作形式。
ミステリなのか否か、いやSFだファンタジーだ荒唐無稽なり、である世界観。
・どこをとってもいままでにない。
これだけ長いミステリもない。ひとつの事件を複数視点から浮き彫りにする形式を
ここまで徹底してし倒した作品はない。
その世界律の表現。こここそ本当に驚かされるところで
多少瑣末の整合性、本格ミステリ適合条件からみれば
最後の最後まで予想しかできない点、外れているのだけれども
しかし間違ってはいない。
・その楽しみ方も、いままでないもの。
前半4編で謎が投げかけられ、同量以上の後半4編が「解」。単に「答え」でなく
この世界のルールを用いて問題を解くというゲームである。
・アドベンチャーゲームのゲームであるところは
作られたその世界のルールにのっとり正解を探し出す過程の行為。
『ひぐらし』のつくりは、テレビゲームのルールにおいてゲームではない、
上手いも下手も正解不正解関係なく、ボタンをただ押すだけで
同じ「解」にたどり着く点でゲームでないけれど
その楽しめかたはゲームでないことはない。ゲームとはなんだ。
・それが楽しめるかどうか、面白がれるかどうか、面白いかどうかが
エンターテイメントの価値であるとすれば、これはとても上等。
完結したら一流のミステリーノベル、と一昨年書きましたが
その枠を超えた一流娯楽作品であります。
どうしてもひとを選んでしまう表現であるのは少し残念なところですけれども。
・ゲームの面白さとはなんだったろうか、どういうものだったかと
ゲームについてここ何年、思いつくまま書き連ねているだけでも
そのゲームについてわかったふりをしていると、言葉ではうまく、
繰り返しているうちにより上手に言えなくなってくる。
・わかる。面白さはわかる。
STGを取り出して遊べばすぐわかる。この楽しさ。これだ。
これこそがゲームの面白さなのだとすぐわかるけれど
次々に新しいゲームを買ってきて遊んで
わかったつもりになろうとするとわからなくなる。
このゲームは良く出来ているのは過去との比較でわかる。
しかし自分が楽しめなかったとき、それはどれくらい面白いのだろうか、
どこが駄目で、ではどうあれば良く、自分に良く、そして誰にも良くなるか、
すなわち、
ゲームの面白さとは何か。
・『ひぐらし』を読み終えて、振り返って全体を眺めてみる。
これまで読んだ『ひぐらし』の謎に様々なひとが挑んだ過程を見てみる。
それはとても興味深い。読んでいて楽しい。面白い。
・「それ」はゲームではないけれど
ゲームはクリアすること、長時間遊ぶこと、この先どうしようかと計画すること、
誰かとその過程を語り合うこと、どのゲームを買うか迷うこと、
そしてわかった気になることだけではなく
「それ」を楽しんでいる様を楽しむこともまた、
ゲームでなくとも、その楽しさである。
それはゲームではない。けれどそれはゲームの楽しさなのだ。
・それが『ひぐらしのなく頃に』で新しく感じ、そう表現することが出来る、
ゲームの面白さです。