『トトリのアトリエ』


 トトリのアトリエ~アーランドの錬金術士2~(通常版) - PS3

 公式サイト http://atelier-ps3.jp/totori/


・珍しくも長野県にあるゲーム製作会社ガストの
 『アルトネリコ』に並ぶ看板作品、アトリエシリーズ最新作。
 最初の『マリーのアトリエ』が1997年なのに既に15作目でございます。

・私が遊んだことがあるのは初代『マリー』セガサターン版のみ。
 10年以上前。内容もはやはっきり覚えていない。
 材料集めて本読んでレシピ増やして錬金して依頼をこなして、という大筋や
 ぷにとか「た〜る」とか同じ顔の妖精さんとか戦闘はお供頼りとか、
 主人公、マリーがわりとけだるげという斬新なキャラクターだったことなど
 部分的には印象に残っているのですが、
 『トトリ』を遊び終えた今となっては混然一体峻別不能


・『マリー』で印象に残っていることが、もうひとつあります。
 ゲーム開始時にゲーム機内設定時間に合わせ
 マリーが音声付きで何種類かの挨拶をする機能搭載、というようなことが
 セガサターン版ゲームソフトパッケージ裏の売り文句に書かれておりました。
 「こ〜んば〜んわ」とか言っておりました。
 わたくしこれみて当時思ったものでございます。
 『ゲーム天国』の方が挨拶パターン豊富だけど売りにしていないのに。
 このゲームはその程度で、ガストというメーカーはそういうところなのだな、と。

・しかし現在もアトリエシリーズは好評をもって迎えられている。
 すくなくともシリーズは続いている。
 いろいろ感慨深いものがあります。


・それはともかく、というわけで、新作の気持ちでもって遊んだわけですが
 さすがに一定の支持を長いこと集め続けているだけあるなかなかのもの。
 他のPS3XBOX360のゲームに比べると手間もお金も掛けていないけれど、
 『マリーのアトリエ』のころと大して進歩しているとも思えないけれど、
 さすが1年1作以上を10年以上求められているゲームであるな。
 という感想になった時点で新作とみなせていない気がしないでもない。





・このアトリエシリーズは、主人公が「錬金術士」。ファンタジーです。
 といって魔法使いではなく、また武器を使えるわけでもなく、
 救国の勇者でも伝説でもないRPG
 舞台設定は剣と魔法のファンタジー風なのですが
 魔王とか魔物がいるわけでなく、わりと平和。いつでも良いお天気。

・「錬金術」は、これも他の『ドラクエ』でも『FF』でも『テイルズ』でも
 同じような雰囲気の舞台ならば
 たいてい一要素として用意されている、アイテム合成と同じもの。
 「パラケルスス」とか「賢者の石」という風味であって、
 魔女の釜のような錬金釜をぐ〜るぐ〜るとかき混ぜることで
 おいしい料理から毒物金属なんでもござれで作り上げます。
 ひとつの釜で。
 金に換えるより余程すごい気がする。

・レシピ通りに素材を組み合わせて錬金を行い、新しいアイテムを作り出す。
 素材やレシピを集めるためにいろいろなところへ冒険に行き
 冒険を無事にすすめるため装備やアイテムやお金が必要なので
 錬金で作ったアイテムをそれに充てる、という仕組みの進行。
 敵を倒すため、強くなるためにアイテムがあるのでなく、
 ゲーム攻略補助の一要素ではなく、主要素であるのがこの作品。
 錬金術としての技能向上が主で、敵を倒すための冒険技能が従。
 目標は世界を救うことでなく、錬金アイテム図鑑をたくさん埋めること。


・例えば『女神転生』シリーズの悪魔合体が対比になります。
 複数の材料を混ぜ合わせて違うものを作り出す。
 その素材の質や特性次第で出来上がるものの質や特性も変化する。
 まったく同じです。
 RPGとして、つまりゲームとしては
 質が高い方が換金価値が高く、良い特性が付いているほど自分で使うのに有用。
 つまりゲーム的に価値がある。良し悪しを測る基準の軸自体が明確にある。
 ここもまったく同じ。

・アイテム合成、悪魔合体アトリエシリーズの錬金が違うところは
 それをゲームルール上の目標や目的に対する程度が違うところだけです。
 強いボス敵に勝つためアイテム合成して攻略する。
 図鑑を埋めるために錬金する。冒険用に有用なものも作る。
 悪魔合体はその中間。


・このアトリエシリーズは、ゲームとしてみるなら
 構成する部分それぞれは、かくべつ特徴あるものでない。
 特徴であるのはゲームの部分でなく、それぞれの作品題名の通り
 主人公が、RPGの主舞台である戦闘向きではない女性であるところにあります。

RPGだから戦闘をしなければいけないというわけではない。
 戦闘をしなくともRPGの楽しい部分を表現することは出来るのではないか。
 物と物を組み合わせて別の価値をつけて取引する、
 製造産業や商行為も、RPGになるのではなかろうか。
 大規模オンラインRPGではそういうロールプレイがあっても
 1人用オフラインRPGではなかなかみられない。
 そこが「アトリエシリーズ」の特徴。

・戦って勝利することが楽しいところ、目的の第一義ではないゲーム。
 女性主人公がひとりで達成することとの組み合わせがその象徴。
 RPG以外ならともかくRPGと呼ばれる種類のつくりのゲームにあって
 主人公が常に戦闘向きでない女性である、ということ、
 アイテム錬金を主題にしていることでなく
 戦いに勝つためが全てではないことを主人公で表現しているRPGであるところが
 『マリーのアトリエ』が当時から先駆として在り
 「アトリエシリーズ」が現在まで求められ続けていいる価値。
 当時『マリーのアトリエ』はそれほど感心しなかったし
 だから続くシリーズも遊んでいないのですが
 現在まで続いている、求められているのはそういうところと思います。




・このゲームはなかなか楽しくずるずる長いこと遊んでいたのですが
 ただ、10年以上前の『マリー』と今回の『トトリ』を遊んだだけではあるけれど
 ゲームとしては気に入らない出来ばえ。
 いえ正しくは、作品として出来上がったゲームではなく
 作っているひとがきにくわない。
 良いところを台無しにするところが気に入らない。


・例えば、「1周目」はバッドエンドになりました。
 期限までにお母さんを探し出せなかったので駄目。
 「これからも無理でしょう」
 決め付けられます。呆然。
 このゲームって期限があるゲームだったのか。しらなかったなー。

・達成目標が不明確であり判定当日までまったくお知らせがないので
 直前でセーブしていてセーブデータもひとつしかなく、みごと詰み。
 問答無用で2周目決定。
 25年くらいゲームを遊んでいるゲーマーとしてかなりくちゅじょきゅだ。


・シリーズをこれまで遊んでいるひとにとっては
 こういうゲームである、と当然なのかもしれませんが
 これそういうゲームなのか。なのだろうか。
 誰かと競っている意識を持たせられる要素は見落としていたのだろう。
 なるほど昔にいなくなったお母さんをさがすことは
 確かに図鑑を埋めるより急ぐべき目標ではある。
 一日も無駄にせず冒険者として錬金術士として研鑽を積み
 一日でも早く母を救出するゲームであるのであり
 そういう詰め「ゲーム」だったのだ。
 そういう意識で遊ばなければならない「ゲーム」だったのだ。
 そうだったのか。
 そういうように勘違いしてしまう。

・ゲームだから当然である。
 達成目的があって、そこに至るよう積み重ね、
 工夫するほどより良くなる要素があるから
 過程が楽しく、達成できた結果が嬉しいのだ。
 そういうこととは別問題。
 単に締切期限の半年前くらいに、いつまでに何々してくだいと
 お知らせすればよいだけのことだと思うのです。
 ゲームなのだから。
 ゲームなのだから、
 何々をいつまでにしてくださいという目標が
 まったく示されない、確認も出来ないのはおかしい。
 間違っている。気に入らない。癇にさわる。


・男性向けゲームにおける女性キャラクタの扱いのように
 このゲームの男性キャラクタの扱いもかなり気に入らない。
 毎日天気が良いのも気に入らない。周囲を見渡せないのも気に入らない。
 平和なのも気に入らない。魚がくさっているのも気に入らない。

・良いところは多く遊んでいて楽しく
 他のシリーズ作品も遊んでみたくなるのですが
 ゲームでなく、その出来ばえが気に食わない。
 できあがった『トトリのアトリエ』が気に入らないのでなく
 面白いからこそ、
 それを作っているひとの無神経さが許せない。

・『マリーのアトリエ』と同じく、ゲームのほとんどでなく
 どうでも良いこまかいところが気に入らないゲーム作品。
 隔靴掻痒輾転反側、この憤りをどこにぶつけたものか。
 というわけでこうなりました。    
 アトリエシリーズは遊びたいが、ガスト製作のゲームは遊びたくありません。